笑激の告白【文福部屋】

松島の海にゆらゆら小舟かな

7月31日、私は浅草演芸ホールに行った。東京の寄席の場合、上席(1~10日)、中席(11~20日)、下席(21~30日)、かつては大阪の角座や花月もそうだったが今はNGK(なんばグランド花月)も天満天神繁昌亭も1週間単位の定席となっている。話をもとへ戻すと江戸の寄席の31の日は「余一会」等といって、特別興行が行われる。この日の寄席は東京漫才界の大御所、東京太・ゆめ子師匠の「文化庁芸術祭大賞」を祝う会であったのだ。味のある夫婦漫才でお二人の師匠、松鶴家千代若・千代菊師匠のおなじみのギャグ「かあちゃん、もう帰ろうよ」を受け継いでおられる。
なぜこのご両人とご縁があったかというと、うちの「ぽんぽ娘」の浅草時代の師匠であったのだ。彼女は8年間「おさなぎ色」の芸名で浅草の東洋館や木馬亭で修業し、名古屋の大須演芸場で私と出会いさらに厳しい笑いの本場上方でがんばりたいと私のもとへ来て6年目。彼女が私について3年の弟子修行の年季があいたとき、上方での記念会に続いて思い出の浅草木馬亭で記念の会を開いたとき、「大阪でよくしんぼうしたな~」と多くの芸人仲間が来て下さり特別ゲストに「京太・ゆめ子」師匠に出て頂いた。師匠はトリで文福直伝の「紀州」を演じるぽんぽ娘の高座を舞台そででじーっと聞いておられ、打ち上げの席で京太師匠が「文福師匠!!ありがとう。よくここまでぽんぽ娘を育ててくれました」と涙ながらに言って下さり、ゆめ子師匠も私に「うちもたくさん弟子がいますが、あの子は一番そばに置いておきたかった子なんですよ」と言っておられた。
そんなご縁で師匠が味のある夫婦漫才で立派な賞を受けられたのでお祝いの出来るチャンスをうかがっていたときに、ぽんぽ娘にこの寄席のことを聞き、わざわざはせ参じたしだいなり。ご両人は新作と古典の漫才を二席演じ大爆笑。ゲストに所属する落語芸術協会会長の桂歌丸師匠、そして漫才協会の後輩で今をときめくWコロンのお二人やナイツのお二人はじめ皆大熱演。2階席まで立見の出る大盛況。本当におめでとうございました。
その日の夕方、感動を胸に私は翌日もスケジュールが空いていたので、急遽東北新幹線で仙台へ行きました。大震災、大津波、原発事故以来はじめての仙台でした。その日は地元名物の牛たんで地酒を頂きましたが、お店の人はこうして来て頂いて食べてもらうだけでも復興の支援になると言って下さった。翌日仙台から石巻へと向かいましたが、松島海岸から先は列車がまだ運休のまま。代行バスでしか行けません。どうしてもこの日のうちに帰らねばならなかったので、松尾芭蕉の奥の細道でも有名な松島をぶらぶらして、あの有名な遊覧船に乗りました。デッキにはカモメの群れが集まり260の自然美あふれる島々を巡りました。この多くの島々が自然の防波堤となり大きな津波の被害は免れたとの事。それでも海岸沿いには被害の爪痕が多く見られました。観光客も今までの3割ほどだそうで、復旧はまだまだこれからですね。
松島海岸駅前の「小舟」さんという大衆食堂に入り、地酒や地の魚を頂きましたがお客は私一人。そこのママさんもおねえさんも黙ったまま…。壁にはげましのメッセージがたくさん書いてあったので私も書きました。そして迷った挙句に私の千社札を貼ると、ママさんが「あのー、落語家さんですか?」「はい、大阪の…」「えー、わざわざありがとう!!」そこですかさずなぞかけのサービス!! ママさん、私に抱きついてくれました。縁があったらまた行きたいな~。そして今度こそちゃんと段取りして「ボランティア復興寄席」をやりたいな~と、心に誓い私は帰りました。