| 文福のおいやんストーリー |
| 文福のおいやんストーリー ●この度、外国出身力士のパイオニア、元関脇高見山の東関親方が65才の定年を迎えられ、各界にお別れを告げました。去る6月6日、花のお江戸は品川のグランドプリンスホテル・飛天に1,000人以上のお客様を迎えての「定年を祝う会」に出席させてもらいました。 ●ミーハーの私は、写真とりまくり。(ヨメ物語のブログ参照)なんとオバマ大統領からも直々のメッセージが届き、親方のご長男弓太郎さん(ニューヨーク在住)がご紹介。思えば昭和47年名古屋場所で、外国出身力士初の幕内優勝の時は、ニクソン大統領からのメッセージ、同じ年に初土俵ならぬ初舞台を踏んだ私は、親方には大変可愛がって頂きました。数々の大記録を残した人気力士も、親方になれば地味なもの。東関部屋創設時は、春場所の激励会も部屋でちゃんこなべを数十人で囲む程度。それが横綱曙関全盛時には、1,500人の盛大なパーティに。しかし親方の素朴な人柄は全く変わりませんでした。 ●数年前私が参加していたボランティアグループの記念パーティにご招待した折、場所前でお忙しいので乾杯の発声だけをお願いしたのに、「会の趣旨に心打たれた」と3時間ずっと居て下さり、帰り際には一人一人と握手も。ウルウル…。ある日の稽古後、部屋の人気者高見盛関にファンが群がり記念写真をせがむと、シャイな関取が固まりました。すかさず親方が「サカリ ! ! 笑うんだ。笑顔 ! !」とジェシースマイルのお手本を見せました。本当におつかれさまでした。これからはお体を大切に、人生を二倍 ! ! 二倍 ! ! 楽しんで、大好きな大相撲を「高見の見物」と行きましょう ! ! 「第73号いちもん新聞より抜粋」 文福のおいやんストーリー ●繁昌亭3周年で、ますます盛り上がる上方落語界。江戸の師匠方にも出演して頂く機会も増え、東西交流が一段と活気を帯びてきた頃、一人の素晴らしい先輩が、天国寄席の巡業の旅に出てしまった。繁昌亭の高座にお呼びしたかったその人は、五代目柳亭痴楽師匠。北海道の石狩平野の生まれで、おおらかな人柄、江戸っ子気質のきっぷの良さ、世話好き、人望も厚く将来の落語芸術協会の会長になるであろう尊敬すべき噺家だった。 ●4年前脳幹出血で倒れ、高座復帰をめざしつつ療養されていたが、去る9月7日、57才の人生の幕をおろされた。巨体をくねらせ満面の笑顔で甘ったるい美声で「柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、それよりず〜っといい男…」と「つづり方」の名調子、先代痴楽師匠は、和歌山の田舎少年の私も大ファンであった。 ●その先代は昭和48年道頓堀角座での「光鶴改め枝鶴、小米改め枝雀、小春改め福団治」の三人襲名の口上に、ゲストとして来演中倒れられた。入門二年目の私の心にも鮮明に残っている。以来20年間闘病された先代を弟弟子楽輔さん等と共に支え続けた小痴楽さん(当時)が、平成8年5月、大名跡「五代目痴楽」を襲名。私もお祝いのため上京したが、今までの影になり日向になりの「脇役」が「主役」になったこの日、多くの方が集まった。大相撲の呼出しさんのふれ太鼓で入場し、角界、野球界、もちろん芸能界など錚々たる顔ぶれだった。 ●私と痴楽師の縁を作ってくれた桂歌春師は「痴楽兄さんのふるさとからジャガイモがたくさん届くと、いつもコロッケパーティをしました。若き日の寺尾関や、益荒雄関、琴ケ梅関らもよく食べてましたよ」益荒雄関が阿武松部屋を創設した時の土俵びらきパーティのときは、痴楽師の音頭で芸協の若手が大勢駆けつけ、盛り上げてたな〜。歌丸師匠、小遊三師匠達も皆、痴楽さんのお声がけで来られていたな〜。そんな事を思い出しながら13日の町屋斎場の告別式へ。となりには元寺尾の錣山親方夫妻や、元巨人軍の中畑さん達。友人代表の米助師「亡くなった時の顔を見て、昔、二ツ目時代の渋谷の六畳一間のアパートで飲んで騒いで寝た時の顔を思い出したよ。あのアパートもあんたに見つけてもらったんだ。借金してでも若手に飯を食べさす、まさに江戸っ子だったよ…」 ●芸協の副会長の小遊三師「今流れてる『時そば』のテープ、聞きほれたよ。この4年間、高座に出れなくても協会の事ほとんど相談にのってもらったよ。11月に息子のち太郎が『柳亭小痴楽』として二ツ目に昇進するよ。紋付姿見たかったろうに、あんたおっちょこちょいだから日月を間違えたんだな…」 ●ずっとこの「いちもん新聞」痴楽師のお宅に送ってました。奥さまが「いつも楽しみにしてましたよ」と云ってくれました。これからは「柳亭小痴楽」さんに送ります。合掌 「第74号いちもん新聞より抜粋」 |