文福のおいやんストーリー

文福のおいやんストーリー
秋場所直前に角界を揺るがした前代未聞の大麻事件。ついに北の湖理事長辞任 ! ! 大横綱でありながら気さくなお人柄で人望も厚く私と同じ花のニッパチ(昭和28年生まれ)で、いろいろお世話になりました。現役時代に使われた「北の湖」と染め抜かれたピンクの大きな場所ざぶとんは我が家にあり家宝です。
新しく就任された武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は初日恒例の協会ごあいさつで、まず今回の事をふくめておわびをしました。この理事長の後ろに立っていた横綱、三役の看板力士、この10人のうちなんと両横綱をはじめ6人が外国出身力士。これだけ角界の中心が外国勢になりますと親方衆も大変でしょう。私はどこの国から入門しようと大歓迎ですが、かつては多くの「日本人力士」にもまれ「力士」らしくなっていった外国出身の名力士がいました。高見山(現東関親方)はひとりぼっちでさみしい時、山手線に乗ってぐるぐる回りながら気持ちを整理し、けいこ場で涙を流しても「目から汗が出た」と歯を食いしばった。その教えを受けた小錦も「相撲道」を全うしました。平成4年の名古屋場所で水戸泉(現錦戸親方)が平幕優勝をした時、優勝パレードの旗手を務めた小錦は「天下の大関が平幕優勝の旗を持つなんて値打ちがない。旗を持たずに、プライドを持て」と言われましたが、「いや、つらい時に水戸泉関が『サリー頑張れ ! ! 』と励ましてくれ4年も兄弟子が僕の旗を3回も持ってくれた恩返しです。」ええ話やなー。
この日一番困った人は?オープンカーの運転手さん「重たいな〜」2人が感激の涙を流しながらめでためでたの高砂部屋ー。その流れをくむ曙、武蔵丸も立派な土俵人生でした。その武蔵丸をきびしく育てた武蔵川理事長の心意気で、暗い角界に一つの光明がミエノウミ〜。


「70号にあたり、ごあいさつ」
毎度当紙をご愛読頂きありがとうございます。おかげさまで記念すべき70号です。その表紙に、つく枝改め文三襲名のおめでたい記事をのせる事が出来てラッキーでした。師匠が小文枝から五代目文枝の大名跡を襲名される前から気運を盛り上げよう、一門の結束を固めようとの思いで、私が勝手に発行してまいりました。特にスポンサーにたよらず自費で続けてまいりました。もっとも執筆者も原稿料なしでずっと健筆をふるって頂きおおきにおおきに。
こうして続けてこられたのもファンの方々おかげですが、生前中におやじ(師匠)が「おい文福、いちもん新聞まだでけへんのかえ?」この一言がありがたく、粉浜の「みやもと印刷」さんに出来上がりをもらいに行き、その足でとなり町の玉出の師匠宅に届けていまして、師匠亡き後もその事は続いております。もう一つ感激したのは、師匠を偲ぶ「五代目文枝展」をワッハ上方で催した時、思い出の品の展示の中に当新聞の創刊号が飾られていました。師匠の奥さんのはからいでした。絶対続けなくてはと思いました。この新聞の後、各ご一門も情報紙を出されることになり、落語ファンの皆さんに喜ばれています。そして繁昌亭の盛況ぶり。ドラマや映画にと落語が取り上げられちょっとしたブームです。
さて先日繁昌亭のおひざ元、天神橋筋商店街の皆さんが船で道頓堀に来られ「キタとミナミの橋渡し」という交流イベントがありました。繁昌亭を盛り上げているキタの商人(あきんど)さんに刺激されないわけがないミナミの皆さんが法善寺横丁に「寄席小屋」をと張り切っておられ、関西演芸協会の桂福団治会長はじめ上方の漫才や各色物の師匠方も期待しています。
皆様今後共ごひいき下さいませ。ご自愛の程を。  (文福)

「いちもん新聞70号より抜粋」