| 文福のおいやんストーリー |
| 文福のおいやんストーリー ●一昨年の春、私は芸の父である五代目文枝を見送ったが、今も極楽寄席名人会で「はんなり」した上方落語で人気を博しているだろう。そしてこの6月、田舎の父も旅立った。 ●人生80年、好きなように生きた自由人であった。とにかくしゃいで地味で人付き合いの下手な親父だった。今から20数年前、全国ネットの「プロポーズ大作戦」にだしてもらった時、ふるさとにロケに行き、紀ノ川平野の桃源郷を歩き、カメラが追った先の畑では、父がネクタイをして立っていた。春の桃山まつりや村の秋まつりに、芸人仲間を連れて余興に行くと、わざと人をさけるように山の畑に仕事に行った。地元に田端義夫先生が来られ、私も前座で出してもらうので、前夜実家に帰り、親父に見に来いと言うと「バタやんか、ええわいしょ『かえり舟』『ふるさとの燈台』涙でらよー。うまいし、ええ声じょなー」「ほな明日来るか?」「いや、今回はやめとくわ ! !」ってもうないわ ! ! 78才までビニールハウスでスイカやトマトの苗を植え、それを単車に積んで農家をまわり、その農作物が成長するのが何よりの楽しみだった親父。しいたけ、みかん、ふるさと名産「あら川の桃」を作り、両手は土で真っ黒だった。 ●学校行事等全く参加しなっかたが、近道やからと耕運機で中学校のグランドを横切っていた親父。家庭をかえりみない仕事一筋の父が、2年前病にたおれ、娘の家で老夫婦がよりそい、孫とたわむれる平凡なおじいさんになったのは「神様からの贈り物」だったかもしれない。そして又自由が恋しくなった親父は、2回目倒れてからは、1週間であっさりと逝った。残った者も自由にせえと言わんばかりに…。私は十代で故郷をはなれたので、他の兄弟の様に一緒に農作業したりお酒を飲んだりあまりしていないが、最後は強いえにしを感じた。6月8日、ブラリと病院を訪ねたらその夜に意識が薄れ、そのまま一緒に泊まり、翌日我々に看とられ昇天。お通夜告別式の時も舞台が入ってなく、無事につとめられたし、一番忙しくなる桃の出荷の少し前で、村の人々もたくさんお参りして下さった。 ●「世間様に迷惑かけんなよー」と言ってた父らしいなー。親父の寝てた部屋の柱にはってあった言葉「常に人の悪は言わず、またおのれの善は語らず」おやっさん、むこうについたら師匠に照れずにちゃんとあいさつしてけぇよ。 |
| ●暑中お見舞いと同時に笑中お見舞い申し上げます。この夏も100キロのメタボリックパワーで各地に笑いをふりまきますので、よろしゅうお願いします。 ●天満天神繁昌亭も昼席は連日大入り満員ですし、夜席もユニークな会が目白押しです。さらに春風亭小朝師プロデュースの毎夏恒例の落語の一大イベント大銀座落語祭も、今年は7月12日から16日までの5日間(昨年は3日間)に増え、東西落語家が大挙出演します。メディアでも国分太一さん主演の(しゃべれどもしゃべれども)の映画もヒットしてますし、NHKの秋の朝ドラも「ちりとてちん」と題した女の子が落語家として成長していく物語です。そして今年4月には、池田市に「落語みゅーじあむ」が完成しました。「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」でおなじみの大阪の池田市。(社)上方落語協会の三枝会長も在住で「落語のまち池田」を売りに、町おこしにがんばっておられます。「落語みゅーじあむ」の2階には、初代、二代の春団治師ゆかりの「噺家の部屋」もあり、ライブラリーではビデオやCDで代々の名人芸を楽しむ事ができます。もちろん、五代目文枝の芸も…。 ●三枝を筆頭に師匠ゆずりの根多を増やし続けるきん枝、全国で独演会にひっぱりだこの文珍はじめ、一門をこれからもごひいき下さいませ。では、暑さに負けずお元気で。 「いちもん新聞より抜粋」 |