| 文福のおいやんストーリー |
| 文福のおいやんストーリー ●花の浪花に春をよんだ大相撲三月場所初日の12日が、師匠(おやじ)の一周忌、千秋楽の26日が「五代目文枝之碑」の建立除幕式と、大相撲愛好家だった師匠らしい縁(えにし)を感じながらせっせと本場所に足を運んだ。 ●なんばの府立体育館の正面に「高見盛江 (有)文福らくごプロモーション代表桂文福より」と力士幟を立ててもらったが、雨や風で木にまとわりついた度になおしに行った。連日お客さまに配る取組表に今年も広告を出した。効果があってどんどん事務所に電話がかかった。「今場所誰が優勝でっか?」「弁当なしやったらます席なんぼでっか?」って知らんがな。トホホー。 ●今場所は幕内十両よりも幕下の東西の筆頭の2人の土俵が気になった。東は地域寄席の草分け、田辺寄席の世話人会や常連さんが応援するご当所東住吉区の田辺っ子の太一君こと出羽鳳、西は20年前の部屋創設時から出入りしている東関部屋の高見藤。(結果は出羽鳳が勝ち越し、来場所の十両昇進を決めた。高見藤は千秋楽、十両での取組で新十両宝智山との入れ替え戦に破れ、惜しくも負け越し。でも来場所まだまだ希望があるぞ!!) 本場所もさることながらけいこ場にもあちこちおじゃました。 ●私の母校、和歌山県立粉河高の後輩の「和歌林」が初土俵をふみ、九重部屋(元横綱千代の富士)へ地元のおいやんとして激励に行き、東関部屋(元関脇高見山)へも、たくさんのお客様を案内した。その時坊枝君がレギュラーの毎日放送「日曜出勤生ラジオ」でレポートに来てくれた。親方や関取衆は、稽古に集中していたので、私が「相撲好きの田中さん」として生放送に出してもらい、部屋の紹介や春場所の見どころ、ついでに相撲甚句もサービスした。わしゃ何物や!! ●阿武松部屋(元関脇益荒雄)も関係が深い。トリノ金メダルの荒川選手みたいに足を高くあげるしこで人気上昇中の片山関や十両経験のある大阪交野市出身の小兵の古市。彼は幕下で4勝3敗と勝ち越したが、この4勝の決まり手がすべて「かいなひねり」という異能力士。ある日の稽古場、どうも見物衆がとぼけた雰囲気。それもそのはず、私の楽友(学友ではない楽屋の友)腹話術師の千田やすし君、落語家の笑福亭伯鶴君、私の弟子の桂まめだと芸人ばかり。迫力あるぶつかり稽古を見て「毎日こんな稽古したら俺らもっとうまくなるのになー」 ●稽古の後のちゃんこ鍋。親方が若い衆に「師匠方がおまえ達に力強いお言葉を下さる。よーく聞きなさい」なんのことはない、なぞかけ、小ばなし、河内音頭をやりたおした。トホホー。 編 集 後 記 ●私のふるさと紀の川平野の桃源郷もピンク色に染まり、春うららかな季節となりました。あいかわりもせず「いちもん新聞」春号を発行させてもらいます。ご笑読下さい。 ●去る3月12日、無事師匠(おやじ)の一周忌をつとめることが出来ました。師匠のいないこの1年でいろんな事がありました。昨年3月21日のお別れ会、11月3日の直系20人全員出演した追善落語会、さらに「上方お笑い大賞功労賞」受賞、「上方演芸殿堂入り」加えて先日3月26日の「五代目桂文枝之碑」の除幕式等々、あっという間の1年であったように思います。そしてより一層一門、直系、孫弟子の絆が強くなった事です。だから、おやっさんが極楽寄席の永い巡業に行ってしまってもいくらでも師匠について書くことが多いのです。「いちもん新聞」は増々内容も充実します。 ●それにしても、今回の碑の建立に際し、歴史がしみついた世界遺産の熊野石を提供下さった和歌山新宮の方々、心良く境内を使わせて下さった高津宮の方々に紙面をもってお礼申し上げます。これも生前の師匠の人柄のたまものと門弟の一人として感謝しています。 (桂文福) 「いちもん新聞より抜粋」 |