| ちゃん好改め「文鹿」改名お祝い会に文福じ〜ん |
| ●落語笑売33年目、今まで何度となく高座をつとめた。全く受けなかったどころか、途中で絶句した初舞台。仲間との地域寄席、ふるさと紀州での初めての独演会、各地での一門会、同期会、兄弟会、等々…。全国市町村での「ふるさと寄席文福一座」も、毎回、思い出に残る高座に、なるよう熱演して来たつもりだ。 そんな折、涙と笑いと感動の高座にめぐり会えた。去る9月10日、大阪ミナミは千日前のワッハ上方(大阪府立演芸資料館)のワッハホールで、行なわれた「ちゃん好改め桂文鹿 改名披露」。 ●まずは当日のプログラムにのった本人の御挨拶から 「本日のご来場、誠に、ありがとうございます。これまで師匠文福のもとで、様々な事を学ばせて頂きました。落語は、もちろんの事、夏が来ると河内音頭のやぐら、土俵の上では、相撲甚句、震災後の神戸では、プロレスのリングの上で復興演芸をやりました。一見、高座の座布団とは、かけ離れたものを感じはしますが、特殊な、環境での文福流、宴会ティナー振りは、ほんの少しでは、ありますが、私の体にも、浸み付き、その原動力と、なっております。ふるさと和歌山を、大事にしてきた師匠同様、原点に立ち返り、奈良囃しの出囃子と共に、生まれ育ち、住みなれた奈良の鹿の一字を名乗らせていただきます。志し半ばで途ぎれた、前、文鹿(ぶんろく)の名を、必ず、大きくする事を、お誓い申し上げ、私の御挨拶とさせて頂きます。」 ●彼が私のもとへ入門したのが10年前。学生時代、ボクシングをやっていた。いかつい、目つきのするどい男が門をたたいた。当時、私が連載記事を書いていた、ベースボール・マガジン社の「VANVAN相撲界」の愛読者でもあり、ボクシング同様、大相撲の愛好家でもあった彼につけた名前が「ちゃん好」。はじめ考えたのが、私の師匠、文枝の一字をもらって「まわ枝」「ふんど枝」けど力士の栄養源となるのは「ちゃんこ」芸で人々に、心の栄養を与えよと、そして、ちゃんとして好かれてくれとの思いで「桂ちゃん好」とつけた。 見た目とはうらはらに、心のやさしい、気い使いの彼は、まじめに、修行をこなした。 ●しかし、元来、かたい彼は、私のようなもって生れたかどうかはわからないが、フワーっとしたキャラクターではないので、平仮名のかわいい名前に、馴染めず、きっちり古典落語に取り組みたいとひそかに改名したいと思うようになり、五代目文枝門下に、空いていた文鹿の名を継がしてほしいと私に相談、さらに大師匠文枝も、彼のまじめに芸に打ち込む姿勢に、応じてくれ10年の節目に、文鹿を名乗らせてくれたのだ。現在、文枝門下の筆頭弟子は、三枝だが、その前に文也、文鹿、小枝の3人がおり、文也と小枝は現在二代目として活躍している。 さて、当日の改名披露の会は、立見の出る大入り満員の大盛況。楽屋も先輩後輩の落語家連中が、一門と問わずたくさん来てくれた。私の嫁さんも、息子も、田舎のおふくろ達、彼のご両親も、ロビーの祝い花の前で、感動している。 |
| ●どん帳が上がり、文鹿の弟弟子のまめだが「寿限無」続いて兄弟子茶がまが「動物園」ゲストとして東京より三遊亭円丸師、彼は小遊三師のお弟子だが奈良は大和郡山の出身。文鹿も、同郷としてかわいがってもらっている。続いて平成の名人いや迷人、文福だ。 ジャーン!! ここで「桂文福」と染めた座ぶとんに座る。実は、この日の3日前「師匠、ちゃん好で10年間お世話になりました」とわざわざ私のために、座ぶとんをプレゼントしてくれたのだ。これはさっそく皆さんに見て頂こうと、「ちゃん好より」と染めた座ぶとんをお見せすると万来の拍手。 |
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| それにのってお祝い相撲甚句「桂文鹿物語」そして、御大、五代目文枝の登場。孫弟子のために、三味線、太鼓もにぎやかに、十八番の「天王寺詣り」を、たっぷり熱演、大爆笑で、仲入後、露の都師の司会で披露口上、笑福亭呂鶴師、桂福団治師、桂文枝師の暖かいお言葉に、黒紋付羽織ハカマの我々師弟も胸がジ〜ン。 ●さあ、トリは、いよいよ文鹿だ。奈良にそして名前にちなんだ人情噺。「鹿政談」見事に聞かせた。おじか〜ん、ドロドロ〜バレ太鼓と共に、どん帳が下がる。舞台そででがっちり握手、仲間達から拍手が起こった。今後の夢として、全国の鹿のつく市町村で落語会をしたいとの事。秋田の男鹿や鹿児島の鹿屋、兵庫の八鹿等、最終目的はアメリカのシカゴや!! 最後にプログラムから私の挨拶。「本日はご来場に心から感謝をしつつ扇子をペンに持ちかえましての一筆。この文で福を呼びましょう。さてちゃん好改め文鹿について…。本名大倉有展(ありのぶ)。名前も顔もそして税理士さんを父上に持つ堅い家系の男。弟子修行の年季があいてから青春時代やり残したボクシングへのけじめとジムに通い見事プロテストに合格し、プロボクサーとしてリングに上がりKOされた男○揚げソバ(フライメン)の味を研究し、全国各地を食べ歩いた男○一人で部屋にこもり、自作のプラ相撲に熱中する男○愛妻ひとみさんと共に、愛息みなみ君を連れて来てたまに「孫」を抱かせてくれる男○噺はほとんど知らず入門したので、同世代の落研出身者達に、負けん気を出し、落語界の勉強をし、五代目文枝一門に「文鹿」の名があいているとひそかに狙っていた男○“ちゃん”として“好”かれる男。そんな男の師匠として私はうれしい…。」 「神戸月刊センターより抜粋」 |