| 文福のおいやんストーリー |
| ●自慢やおまへんが、私、けっこう上流家庭で育ちました…紀の川の上流やけど、トホホー。 さて、私のふるさと紀州にもメジャーな商店街があるんやで〜。東京なら銀座、大阪なら心斎橋、京都は新京極てなもんで、和歌山はジャーン「ぶらくり丁」。八代将軍吉宗公の和歌山城、55万5千石の城下町のシンボル「ぶらくり丁」 世間様は「ぶらっとくり出す町やから」との認識もおありだが、「ぶらくり」とは、紀州の標準語!! 物を「ぶらさげる」事を「ぶらくる」と言い「あの店の軒にカバンやクツぎょうさんぶらくっちゃーら(ぶらさげてあるわー)」そこで「ぶらくり丁」。この名前なんと文政年間1830年頃に使われていたという。さすが城下町だ。 この「ぶらくり丁」へバスや汽車をのりついで、映画やショッピングに出かけるという事は紀の川平野の桃源郷の村人の私達にとっては、一家の一大イベントであった。そのあこがれの町並みも、時代の流れか大駐車場完備の郊外の大型ショッピングセンター等に押され、元気がない。そこで先日、活性化にむけたうれしいイベントがあり、大盛況だった。 ●♪逢いたい、見たい、すがりたい、そんな気持ちにさせるのは、ぶらくり丁の恋灯り〜。 知っている方はよう知ってる古都清乃さんの名曲「和歌山ブルース」昭和43年にリリース、50年代に大ヒット。当時和歌山に転勤に来たサラリーマンは、この唄を唄えないとつきあいが出来ぬ程大流行。今なおカラオケで唄いつがれている名曲だ。 この歌で「ぶらくり丁」の名が全国に広まった。そのお礼にと歌碑建立の話がもちあがり、この程完成。除幕式では、古都さんも感激の涙、涙。故郷群馬から、又東京方面から、観光バス2台、90人の後援者が和歌山に来て下さった。私が会長をつとめる「和歌山出身芸能県人会」の名誉会員でもある清乃おねえさんを囲んで、「和歌山ブルース」を熱唱。 ●この歌碑建立に我々少しカンパしたら、名前をきざんでくれている。この碑はレコード盤の形をしていて、腰をかけられる。もちろん座ってほしくはないが、女子高生やギャルなら、私の名前の上に座ってもいいよってそんなアホな!! 〜編集後記〜 ●暑中(途中から残暑)お見舞い申し上げます。この号は9月末日まで各地で配布させて頂きます。 さて「継続は力なり」とは申しますが、この新聞も13年程続いています。しかし、もっとすごいのが、神戸のタウン誌「月刊センター」さん。なんと毎月発行して50年、震災等をのりこえて続けて来られました。私も12年ほど連載させてもらっておりますので、先日、記念パーティに出席して、サービスに芸をしたおして来ましたが、50年の重さを感じました。 ●そんな折、上方落語協会の情報誌を発行する事が総会で決まり、私、編集長をおおせつかりました。各一門から編集委員をつのり、おもしろく楽しい会報を作りたいと思っています。将来の上方落語の貴重な歴史に残る資料になったらええなァ〜 (文福) 「いちもん新聞夏号より抜粋」 |