春一番がはこんだ心温まる旅

2月14日から3日問、長崎県の五島列島の上五島(かみごとう)の有川町と奈良尾町での「文福ふれあい人権ばなし」に、出かけました。飛行機なら長崎空港に飛んでセスナ機に乗りかえて上五島へ。それより鉄道大好き人間の私は、文福一座の腹話術師、千田やすし君をともなって、新幹線のぞみで博多へ。そこから特急かもめで佐世保に着き、フェリーにゆられて上五島の有川港へ。列車と船で約8時間の旅。午後4時半頃に島に上陸すれば、7時の有川文化センターには充分間に合います。

この島での公演を、私以上にワクワクしておられた方がいます。税理士の浜口昭先生で、小社の税理事務でもお世話になっておりますが、それ以上に先生のお人柄で、二十数年家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっています。「前から文福さんに私のふるさとの上五島に行ってもらいたいなーと思ってたら、今回、長崎県の人権担当の方からお声がかかったと聞き、白分ごとのようにうれしいなー。一緒に行きたいけど、税金の申告のシーズンなので、無理ですなー。そこで、私の昔住んでた家とか、懐かしい魚目小学校、青砂浦の教会等の前で、文福さんと千田さんが入った写真撮って来てくれないかなー」と、島の地図や資料をたくさん下さり、同級生の方々にも、ハガキ出して下さいました。先生の母校上五島高校の一期後輩には、第五十代横綱の佐田の山関(後の出羽の海から境川と名乗った名理事長)がおられ、理事長時代、春場所中に、大阪におられる高校時代の仲間が集まる会に、私も何度か出してもらったことがあります。「佐田の山の話を、得意の相撲ばなしの中に入れたら、皆大喜びするよ」そんな先生の気持ちも込めて、佐世保に着きました。

一緒にフェリーに乗る、人権研究会の原先生、荒木先生が改札口で迎えて下さった後、「ごくろうさんです。でも、今晩の有川での会はけっこうです」「ハッ?」「春一番が吹いてフェリーも高速艇も海上タクシーも飛行機も全て欠航!! 今日は島へ行けません」「そんなアホな!!」「今夜の有川での公演は?」「中止です。後の事は又考えましょう」

昼1時半、ボーッとしてる私達をなぐさめるように、荒木先生達が、平戸大橋を渡り、隠れキリシタンの里等を案内して下さいました。観音さまの背中に十字架のある「マリア観音」等を見せてもらい、夜は佐世保でごちそうを頂きましたが、島の事が気になって仕方ありませんでしたが、翌日は荒れた波の上を早朝の高速艇がファ〜ッと飛ぶように進み、無事に有川港へ着きました。「けど、今度は帰れるかな〜」

有川町に入ると、昨夜盛り上がるはずだった私たちのポスターが貼ってありました。トホホ〜。この日は、昼間予定通り奈良尾町で公演が出来ました。「町制60周年」の記念で、しかも8月1日に五町が合併して「新上五島町」となりますので、奈良尾町としては最後のビッグイベント。あー無事に出来て良かった〜。でも、昨夜の有川町の事が心に残ってましたので、「奈良尾町さんの後は島内の観光やお食事会を催して下さる予定と聞いていますが、その時問を有川町さんで公演出来ないでしょうか」とかけあいました。「いや、一旦中止にしましたし、自然現象の事で、講師さんの責任ではないですし…」「そこをなんとかやりましょう」私達の迫力?に押されてか、「ではやるだけやってみましょう」と奈良尾町での私達の公演中に有川のスタッフが町内放送しながら車で走り回ってくれました。奈良尾から二十数キロ、有川へ着くと、文化センターは人、人、人。私は涙が出そうになりました。浜口先生の幼なじみの中山さんや江濱さん達も来て下さいました。千田君の腹話術が始まると、ロビーで「今、文化センターで楽しい事始まってるよ、ぜひおいでよ」と、ケイタイでお知り合いに電話して下さってる奥さんの姿を見て、出番を待つ私は、心から胸が熱くなっていました。

有川町役場の前には、柏鵬時代の名横綱佐田の山関の土俵入り姿の銅像がありましたが、「近い将来、有川港がリニューアルしたらフェリーターミナルの正面に移し、観光客をお迎えします。横綱の資料館も作りますよ」とは地元の世話人さん。「昨夜なら、春一番が吹いて、お年寄りも出にくかった。今夜で良かった」「わしゃ、生の落語はじめて聞いたんじゃ。おもしろかったのー」

浜口先生との約束通り、子供時代住んでおられた家の前で写真を撮っていると、隣のおばあちゃんが出てこられ、私のケイタイをお渡しすると、「もしもし、浜口のアキラちゃんかー、たまには帰ってこんねー」受話器の向こうでの涙声に、又、感動!! ウルウル…。翌日は、又、奈良尾町に戻り、奈良尾中学校の純情な生徒達に、落語と腹話術のプレゼント。

ここで偶然、不思議なご縁を感じました。翌日は和歌山県広川町の広小学校でのPTAさんの会でしたが、この奈良尾町と広川は姉妹町なのでした。三百数十年前、有田、広川の漁師さんがカツオ漁に来たまま、この島に住み着き、集落が出来、今の奈良尾町となってる地区があり、この島に自生しないはずのウバメガシ(和歌山の県木で備長炭になる木)が「紀州ガシ」と呼ばれ、キリスト教の教会に、大きく茂ってる姿を見た時も、先人の苦労と人々の友情を感じ、青方港から6時間半かけて博多港へのフェリーのデッキで、玄界灘に沈む夕陽に、心から手を合わせました。


「神戸月刊センターより抜粋」