| ふる里への熱き思いそれぞれ… |
| ●寒風吹きすさぶ1月から2月にかけて、誠に心あたたまる出来事に参加させてもらいました。1月20日、私の母校安楽川(あらかわ)小学按の創立100周年の記念式典に出席させて頂き、その後ボランティアで、記念講演をさせてもらいました。 ●紀の川平野の桃源郷「あら川の桃」の名産地にあるこの小学校から8000人近い方が巣立って行きました。皆さんそれぞれの分野でがんばり、母校への思い出、愛着もおありでしょうが、たまたま落語家になっているのは私だけでしたので、おこがましくも喜んで出席させてもらいました。山下町長さんや、山田校長先生、100周年実行委員長の西先生達のごあいさつにまじって、可愛い後輩達の意見発表、作文の朗読等を客席で見ていた私は、感動しながらも不思議な気持ちでした。小学生時代は吃音児で赤面症。とても人前でしゃべるなんて、とんでもない事でした。その自分がこの後、「真の笑いは、平等な心から」と言う私の人権テーマで講演をするとは……。 ●文福一座の千田やすし君も、友情出演で楽しい腹話術をサービスしてくれまして、子供達の明るい笑い声がふるさとの山々にこだましました。♪紀の川の水、清く澄み桃の花咲く、まなびやに〜 久しぶりに大声で校歌を唄い、胸にあついものがこみあげました。その夜は、桃畑の中にチョコンとある和風スナック「もも」さんで幼なじみ数人と、久しぶりに盃をかたむけました。 ●2月5日にも、100周年の催しがありました。東海和歌山県人会が、100周年を迎えられたのです。今から100年前(明治37年)に、ふるさと和歌山を後にして、東海地方(名古屋中心)に大志をいだいて出られた方々が「紀州会」という会を創られたのがはじめだそうで、100年間も地道に活動して来られたのです。中日ビルにある「和歌山県、名古屋観光センター」の西本所長(すてきなおねえさん)のアイデアで、我が「和歌山出身芸能県人会」(やっと5周年。一応私が会長)に、声がかかり、私と千田やすし君、私の弟弟子で、和歌山市在住で「和歌山弁落語」で地元で大人気の桂枝曾丸(しそまる)君の3人が、100周年記念祝賀会に出席させてもらい、「紀州なごやか寄席」と題して、もりあげさせてもらいました。山口会長さんや、和歌山県の木村知事さん、愛知県の神田知事さん達のまん前で一席させて頂き、大変光栄でした。会場には元、中日ドラゴンズで大活躍された上川選手(箕島高出身)元、久島海関の田子ノ浦親方(新宮高)達もおられ、楽しい宴となり、おわりまでなごやかでした。 ●ふるさとや、母校のきずなを深く感じたといえば、2月1日の両国国技館においての「元小結大善関の引退、富士ケ根襲名披露」でした。昨年の春場所、ご当所で引退された大善関の断髪式でハサミを入れさせてもらいましたが、関取の誠実なお人柄と22年問こつこつと積みかさねた大相撲への情熱にうたれた350人の心のこもったハサミに、最初、ニコニコ笑顔のベテランも、ご長男昇吾君、そしておいっ子さん達が、4年前に天に召された関取のお父様(元力士)の遺影を胸に土俵にあがると、涙、涙……。止めバサミは、師匠の二所ノ関親方(元、関脇金剛)で、その前に、二所一門の親方衆がハサミを入れられましたが、一門ではない、元大関前の山の高田川親方が土俵に上がると、大きな拍手がわいたのです。 ●高田川親方は、浪商の大先輩なのです。野球少年だった大善関は、浪商学園の中学校から高校に進学、しかし相撲の方がむいているとさそわれ1年で中退し、角界へ。3年後輩には、当日も出席されていた、あのドカベンの香川さん、名投手の牛島さんもおられ、大先輩“怪童”とよばれた尾崎さんも来られていました。私も、今まで栃乃和歌関、曙関、小錦関、水戸泉関、寺尾関ら何人もハサミを入れさせてもらいましたが、国技館でめずらしい光景を見ました。大善関の断髪式の前に、浪商OBの方々がたくさん立たれて、浪商学園「校歌斉唱」が行なわれたのです。これは胸にグッときて、かなりこうかがありました。 ●前日は元関脇、安芸乃島関の藤島親方襲名の引退相撲があり、こちらは一相撲ファンとして見に行きました。金星16個、三賞19回を誇る名力士、この日を最後に二子山部屋をご子息の貴乃花親方に譲る(貴乃花部屋となる)二子山親方(元大関貴ノ花)の止めバサミの時、「アキノシマー、ごくろうさーん」と大声を出しました。ふるさと広島からも、たくさんのファンが国技館へ来られていました。大善の宮士ヶ根親方の故郷は春場所の府立体育館の真裏。平成13年の九州で37才目前にして横綱武蔵丸関から金星をあげ、「今が全盛期です」と名言をのこした浪花の男だけに、マゲをきってもカミガタが決まっていました。 「神戸月刊センターより抜粋」 |