| “兵庫教育”11月号に掲載されました |
| 兵庫県下の学校の先生方がご愛読されている「兵庫教育」という歴史ある本にのせて頂き光栄です。 |
| 〜真の笑いは平等な心から〜 ●私は、落語家の桂文福と申します。昭和46年(1971)の秋に、桂文枝師匠(当時小文枝)に、「おいやん!!弟子にしてけえ!! わえ、おまんのファンやしょ、弟子にしてくれなあかなしてよ」と、和歌山の標準語で、入門志願して32年の歳月が流れました。このすぱらしい「兵庫教育」さんに一筆書かせていただくことは、入門以来の夢でした。ほんまかいな・・・。とにかく私のつたない文を読んで、福を呼んでもらえれぱラッキーです。 ●私のふるさとは、霊峰高野山のふもと、紀ノ川平野の桃源郷で、「あら川の桃」というおいしい桃の名産地、桃山町です。県立粉河高等学校を優秀な成績で卒業した友達と一緒に出まして、大阪に来て、落語家のらの字も考えず、大日本印刷大阪工場へ就職しました。 |
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| ●私は、幼い頃から吃音児で、しかも赤面症、人前でしゃべること等、大の苦手で、まわりから本名の「のぽる」をもじって「田中どもる」なんていわれて、からかわれていましたが、中学、高等学校と、相撲、柔道で、一応青春の汗を流していましたので、あまり、落ち込むことはなかったです。しかし、小学校時代の写真が少なかったり、思い出がそんなに浮かんでこないのは、そのころ、まだ自分に自信が持てなかったのでしょうね。中学校で、近所のにいやんに、無理矢理人れられた相撲部で、相手に勝つことを覚えて、道がひらけたような気がします。だから現在も、大相撲に深くかかわっているのかもしれません。 ●さて花の浪速に出てきたころは、上方落語の大ブーム。仁鶴、可朝、三枝、小米(後の枝雀)さんたちの若手が大人気で、「聞く」のが大好きだった私も、寄席に通ううちに、自分も演じてみたいと思うようになりました。「クラスの人気者や、プロで力をためそう」「有名人になりたい」古典落語を背負って立つぞ」、こんな入門動機の多い中、私は「なんとか人前でしゃべれるようになれたらええな」という最低ラインの入門でした。ところが、プロになってさあ大変。まわりは大学の落語研究会出身や、素人名人会で賞をとったアマチュアのバリバリばかり、こちらは、「どもる、なまる」って漫才コンビの名前やないで!!でも、うちのおやじ(師匠、5代目文枝)は、三技、きん枝、文珍、小枝、女流のあやめさん等の弟子たちを見てもわかるように、個性をのばしてくれる人で、私には、「おまえは、独特のしゃべり方があるんや。その味を出したらええ」と言ってくれました。普通にしゃべれていたら、そつのない平凡な落語家になっていたでしょう。私は人にないものをと考え、河内音頭や相撲甚句を取り入れました。節がつくとスラスラ〜といくらでも即興で、文句も出せます。東西落語界約700人中、唯一の河内音頭取りで、自他共に認ある「エンカイティナー」といわれるユニークな落語家になれたのも、吃音のハンディがあったからと、今は胸を張って言えます。 ●この落語笑売32年の間こは、いろんな出会いがありました。その最たるものは私の「連れあい」です。彼女は、播州赤穂の出身で、赤穂高等学校から武庫川短大に行き、大の落語好きで、「落研ギャル」のころ、東灘文化センターの「笑民寄席」で、出会ったのが27年前。嫁はんは、私のことを「あのころは、お金もなかったし、あんたのことも、ほとんど誰も知らなかったけど、こんな新作落語作ったで!! このネタどうやとか、キラキラ輝いていたわ。今は、あぶらぎってギラギラしてるわ」トホホー。その間に、息子や弟子ができ、少しずつファンも増えまLたが、15年目に、大手プロの「吉本興業」から独立して「家内興業」に転じ、(有)文福らくごプロモーションを旗上げLました。今は各地で、「文福一座ふるさと寄席」を開いて、生のお笑いを全国各地に運んでいます。 ●今春は、シンガポール、マレーシア、インドネシアの日本人会さんにもお呼ぴいただきました。私のモットーは、「出会い、ふれ愛、わきあいあい」。ほのぼのとした出会いが、心の財産になっています。 ●秋田の知的障害がある方の施設で、こんなことがありました。ある少女が、花壇の花に水をやる仕事を任され、汚れた手を洗うとき、冬だからお湯を使ったら冷たくなくていいと教えられました。翌日その子は、花にもお湯をかけてしまい、花がしおれました。はじめはそのことを叱ろうとした先生でしたが、その子は、自分でうれしいと感じたことを、他の人にもしてあげようと思っただけだと気がついて、「そんな気持ちを忘れていた。大切なことを教えられた」とその子の頭をなでました。そんな先生や生徒に、出会えただけで、秋田まで行った甲斐がありました。 ●明石の養護学校を訪問したとき、寄席がおひらきになり、子どもたちから花束をもらうことになりました。先生が「師匠、すみませんが、舞台から降りてきて下さい」。会場にいた40数人の子どもたちがが、花を一輪ずつもって、すわってくれていたのです。私は一輪ずついただきながら、握手をしてまわりました。ふと気がつくと私の腕の中で、40数本の立派な花束ができていました。 ●今まで、いろんな花束や、プレゼントをいただきましたが、但馬農業高等学校での文化祭もおもしろかったです。文福一座がステージに並んでのエンディング。可愛い女子高生たちが舞台へ上がってきて「それではここで、文福さんたち一行に感謝を込めて、お礼のダイコンの贈呈!!」ヒェー。さすがは農業高等学校。生徒たちが、心を込めて作った大根に、赤いリボンをつけて渡してくれました。 ●これからも各地で、落語の楽Lさ、面白さを広めたいですが、その落語は、約300年の歴史があるといわれています。テレビがやっと50年、したがって、今まで古典とか、伝統の陰にかくれて、平気で身体の障害や、職業差別を笑う噺(はなし)がいくつかあり、「こんなネタ、今やったら放送できへんで」「そやからここで、そーっと生の寄席でやっとくねん」こんな根性はおかしいです。100人いて、1人でも2人でもイヤな思いをする人がいたら、それは絶対、本当の笑いではないのです。「人を見下げる笑い」「おちょくる笑い」そんな笑いは笑いではないと、笑いのプロが笑わんと言うのですから、まちがいおまへんで!! ●先生が教室の前を通ると、いつもその教室がわいわいガヤガヤ盛り上がっている。「いつもにぎやかに、笑い声が上がって楽しそうやなー」でも、もし10人のうち、9人が1人子を寄ってたかってからかい、後で、残った子が、1人で「チクショー」と泣いている教室は、楽しい教室ではありません。 ●寄席というのは、老若男女、健常者も、障害がある方も、みんな仲良く寄せ集まる所、笑顔は「ええ顔」に通じます。これからも、各地の人権講演会等で、落語界、大相撲界、放送界の差別問題等を、わかりやすくお話しし、相撲甚句や河内音頭に、私の愛する金子みすゞさんの、「・・・みんなちがって、みんないい」等のフレーズをちりばめて、楽しい空間を皆さんと共有していきたいと思います。 ●各地へ行けぱ、できるだけお年寄りや子どもさんたちと、終演後、握手をさせてもらって交流をしています。ある村の公民館のロビーで、おばあちゃん、私の手をしっかり握ってくださり、「あんた、なかなか、上手やったのー。思い切ってプロになったらええのに・・・」トホホー。 「“兵庫教育”11月号より抜粋」 |