| 月刊“わっは”12月号の表紙を飾りました |
| ●私は今、全国の町や村、北は北海道から南はナンバ、いや、九州、沖縄まで、今年は、シンガポールやマレーシア方面にも足を伸ばして「文福一座ふるさと寄席」をやらせてもらっております。各地の高座は様々で、ワッハホールでのようにはいきません。毛氈(もうせん)の下がミカン箱やビールケースやったりでね。でもそこにしかない手作りの舞台もうれしいものです。終演後、山村開発ホールや漁村センター(こんな場所、大好きや)のロビーで、お客様をお送りし、お年寄りやお子達と握手をしていたら、あるおばあちゃんが「あんた、上手やのー。プロになったらええのに」。トホホー。 ●今はない「なんば花月」楽屋口の便所の横で、師匠小文枝(現・五代目桂文枝)に「おいやん、弟子にしてけえ! わえ、おまんのファンやしょ。落語おもしゃいわー。弟子にしてくれな、あかなしてよ」と、紀州の標準語で入門志願をしたのが、昭和46(1971)年の秋。以来、T落語笑売Uの道を歩んでまいりましたが、今から15年前に「吉本興業」から「家内興業」に転じ、独立しました。 |
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| ●各地を回っているとこんなお客様も。「文福さん、久しぶりー」「元気やったあー」「和歌山へ帰ってたん?」。吉本時代に一時的にレポーター等でテレビスター?だったばっかりに、そう言ってくださるのです。マスコミヘの露出は滅りましたけど、私は「生(なま)」の高座、いろんな人との出会いが好き。噺(はなし)はもちろん、♪エンヤコラセーや ♪アー、ドスコイドスコイ、とやってます。笑顔はええ顔。みんな仲良く寄席(よせ)あつまって「出あい、ふれ愛、わきあいあい!!」 「月刊“わっは”12月号より抜粋」 |
| 月刊“わっは”:ワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)発行でワッハホールでの公演情報等が掲載されている。 |