初秋お見舞い申し上げます

初秋お見舞い申し上げます。今年の夏は、雨が多く冷夏といわれましたが、100キロの私めにはやはり暑く、汗をタラタラかきました。各地で“オンド”がもりあがりました。河内音頭取りとして、あちこちのやぐらにあげて頂き皆さんに踊ってもらいました。おおきに、おおきに・・・・。

さらに8月は、人権啓発強調月間ということで各市町村での「差別をなくす町民の集い」や「人権講演会」におよび頂きました。愛媛県東宇和郡野村町では、玉春日関(片男波部屋)のふるさとという事でたっぷり相撲ばなしをさせてもらいました。おみやげに関取のサイン、手形としこ名入りのゆかた地をもらいました。正攻法のつき押し相撲で技能賞も受賞している名力士の玉春日関、ぜひ三役復帰を!!
同じ四国では高知の中村市でも清流四万十川を見せてもらっての楽しい出会いがあり、徳島県の脇町では「うだつ」のあがる男に少しでもなりたいと思いました。「うだつ」とは家と家の間の防火壁のことで「卯建」のある昔ながらの町並みを見せてもらいました。
この町は、山田洋次監督の「虹をつかむ男」のロケ地でもおなじみで、脇町劇場「オデオン座」の前を通ると、西田敏行さんや田中裕子さんが出て来そうな気がしました。ちなみにこの町は元幕内時津洋関の出身地でもあります。

脇町では講演会の前に地元の施設(小星園さん)を訪問し、地域の老人ホームや養護施設の方々に文福一座の「ふれあい寄席」で「お笑い」をプレゼントさせてもらいました。四国シリーズで大きな講演会としては徳島県あげての大会で徳島市文化センター大ホールが1000人以上で超満員となり地元の小中学生のすばらしい人権作文の発表等と共に私と千田やすし君とでもりあげさせてもらいました。講演前にはFMとくしまにも出して頂き「ふれあい人権噺」のラジオの録音もありました。

そして、本番当日の前にわざわざ小社までご担当者が来て下さり取材を受け徳島県の人権啓発広報として2003年7月27日に徳島新聞に記事を掲載して頂きました。おゆるしを得て当サイトでも掲載させて頂きます。私の事務所で2時間ほどペラペラしゃべった分をうまい事まとめて下さっています。ご一読下さい。これからも、各地で出あいふれ愛わきあいあいの旅を続けます。皆さん、秋が来ますが桂文福には“アキ”の来ないおつきあいを!!



【以下徳島新聞より】
100人おって、1人でも2人でもイヤな思いをする笑いならそれは本当の笑いではない。

〈出会いと、ふれあいを収穫にして〉
20年ほど前から、人権についての講演を行っている桂文福さん。自分なりに感じたことや古典落語の中にある差別のこと、相撲界の中での外国人のことなど、身近なテーマに笑いを織りまぜて話しています。
各地での出会いやふれあいは、文福さんが皆さんに元気を与えるだけでなく、文福さん自身にもたくさんの収穫をもたらしています。秋田の知的障害の方の施設を訪問したときには、先生からこんな話を聞いたそうです。

ある女の子が花壇の花に水をやる仕事を任されていました。汚れた手を洗うときに、冬だからお湯を使ったら冷たくなくていいと先生に教えられた女の子は、翌日、花にもお湯をかけてしまい、花がしおれてしまいました。はじめは、そのことを叱ろうとした先生でしたが、その子は自分が教えられて良かったことを、ほかの人にもしてあげようと思っただけだと気づいて、自分はそんな気持を忘れていた、教えられたと、その子の頭をなでたそうです。
「そんな先生や生徒に出会えただけで、秋田まで行った甲斐がありました」。その時々に感じた思いが文福さんの中で少しずつ積み重なり、新たな人権への思いとなって、また、どこかの町で多くの人に伝えられていくのです。

〈一人ひとりの個性を認める〉
「障害のある人の気持が多少でも分かるのは、僕も吃音(きつおん)だったから」。小学校時代は、自己嫌悪からか写真もあまりなく、思い出も浮かんでこないそうですが、中学校になって好きだった相撲を始め、勝つことで自信を持てるようになったといいます。
その後、高校を卒業して就職し、当時人気の高かった落語を聞きにいくうちに「この師匠のところへ行ったら、なんとか人前でしゃべれるようになれるかな」と桂小文枝師匠(当時)に入門し、落語家への道をスタートさせました。「師匠は『お前は人にない口調と独特の間がある。お前はお前のやり方でやったらいい』と言ってくれました。僕は言葉に詰まるから、なんとか人と違うことをと思って相撲甚句や河内音頭を始めた。今、思えば、吃音でよかったとおもいます」。

個性を大切にする文福さんだけに、何気ない場面でも一人ひとりの個性が認められないと憤りを感じます。「夫が仕事で忙しいと『母子家庭のようだ』と言ったりするけれど、本当に母子家庭の人が聞いたらいい気はしない。未婚の人に『まだ結婚しないのか』とか、子どもがいない人に『まだできないのか』とか言うのは、ギャグのつもりかもしれないけれど一番失礼なことです」。

〈繊細に言葉を選び、人を大切にする〉
文福さんの出身地である和歌山で起こった毒物カレー事件は、一時期、激しい報道合戦が繰り広げられました。「最初は気の毒にと思っていても、見ているうちにマヒしてくるんですね。同じころ、京都の中学校で古典芸能観賞会をしたとき、ある先生が生徒を笑わそうと、その事件のことをネタにしたんです。それで『何を言うとんじゃ。人が亡くなったり、悲しむことを笑ろたらあかん』と主催者側である先生を怒ったら、生徒が拍手してくれた。後で校長先生も『きょうの会が意義深くなってよかった』と言ってくれました。ネタにして笑って、終わってから怒っても仕方ない。その場でバーッと言ったことで、気づいてくれてよかったと思います」。

文福一座のメンバーのひとりで、一緒に講演に出かけることの多い腹話術師の千田やすしさんは、文福さんについて「師匠がよく言っている『100人おって、1人でも2人でもこの笑いでイヤな思いをするような笑いは、絶対本当の笑いではない』という気持ちに一番共感しています。そういう繊細さと優しさを持って、本気で生きている人です」といいます。「人を見下げる笑い、おちょくる笑い、そんなのはほんまの笑いちゃいまっせと笑いのプロが言うと効くんです」と文福さん。すべての人が気持ちよく、心から笑える本当の笑いを求めて、繊細に言葉を選び、一人ひとりを大切にする姿勢は、落語家という笑いのプロのプライドなのではないでしょうか。